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November 08, 2013

厚沢部町3大学合同アウトキャンパス事業に参加して

北海道桧山郡厚沢部町にて3大学合同アウトキャンパス事業が立ち上がり、愛知学院大学経営学部も実習授業とプロジェクト型インターンシップ事業を兼ねた新しい取り組みとして学生6名が参加した。本学以外は、奈良教育大学、同朋大学であった。愛知県側の企画・コーディネートを行った㈱中日メディアブレーンが編集し、厚沢部町が発行する「厚沢部大学生しんぶん」に投稿する機会を得た。以下は、その内容である。足跡として、記す。

生ける「達人(たつじん)」たちの棲家・厚沢部

 「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」恩師の一人、清水義晴氏の言葉である。何度となく耳にしてきたものだが、1週間の滞在を経て、はたと気づいた。「厚沢部のことだ」と。
 なぜ、弱いところ、小さいところ、遠いところから「変革」が起こるのか。それは、直接手を下さねばならない生きるための厳しい現実と絶えず向き合っているからだ。そこには、我を忘れ利他の精神に富み、仲間とともにコトを起こし、あれこれ試行錯誤して前進してきた「生きるための知恵に富む『達人』」たちがいるからこそだ。

世界一素敵な「保育器(ほいくき)」

 参加した学生(6名)と話しをし、ここに加えるべき大切な点に気づかされた。達人たちが持つ「『磁場』が桁外れに強い!」、「初対面から仲間になるまでの時間が極端に短い!」ということだ。
 ケータイやスマホを通じて人とつながる親指文化の申し子である学生たちは、達人の導きによって、現代の技術社会で必要とされる人間同士の心の触れ合いの価値を理解し、厚沢部での活動に五里霧中であった彼らは安心感を覚えた。
 厚沢部町は、老若男女、住み、生き続けることのできる地域として「世界一素敵な過疎のまち」を理念として掲げている。愛知県から参加した学生たちがそうであったように、当地が、都市生活者の「世界一素敵な『保育器』」の役割を果たすといっても過言ではない。

人々の「感覚のズレ」を活かし次の土俵へ

 他地域から見ると、まちづくり基本条例の制定、素敵な過疎づくり株式会社の設立など、厚沢部町は内発的に改革が進んでいる地域の一つと思われる。しかし、人口減に歯止めがかかっていないのも事実だ。
 私たちが参加した今回のアウトキャンパス事業(実施主体:厚沢部町地域再生プロジェクト推進協議会)は、厚沢部の内と外の人の「感覚のズレ」に着目した取り組みである。このズレから浮かび上がってくる厚沢部に内在する価値を発掘する。不思議に思われるかもしれないが、学生たちは、例えば「狭い」人間関係にある世代を超えたつながりと教えに価値を見出している。
 地域内外の感覚のズレだけでなく、世代や職業などの間にあるズレから生じる位相の違いを超え、コトを起こすために何かを成さねば現状を打破できない。今必要なことは、個々の努力を超えた次にある土俵に上がることだ。決して「やっかいな問題」として目を背け、後回しにしてはならない。私たちが学ぶ「経営学」では、この類の問題を次のように意味づけている。
 ①関係者の数が多く、しかもその価値観や優先順位はそれぞれ異なる。
 ②問題の原因が複雑で絡み合っている。
 ③取り組みにくい問題である上、どのような取り組みも、問題そのものを変化させる。
 ④取り組んだ経験が、まったくない問題である。
 ⑤何が正解なのかが分からない。
 唯一の解は存在しないものの、「小さく生み、大きく育てる」方針で人が成すべきことを見つける「考程(こうてい)」は示すことはできる。

「転源人(てんげんじん」と協働しよう

 厚沢部にしかない無形資産をご存じだろうか。それは「『世界一素敵な過疎のまち』をつくる」という世界に類を見ない理念である。変化をもたらす可能性を秘めた「新人」もいる。子供と来たり人(きたりど:私の住む愛知県尾張地方の方言で、新住民の意)だ。また、達人たちという「変化を芽吹かせる苗床」もある。
  『世界一素敵な過疎のまち』は、厚沢部町が40年、50年かかってでも実現したい宿願。私には、達人が築いてきた保育器の中で、未来の芽を拓く状況が整いつつあると診える。しかし、今回の滞在では未来に向かい、今を活かし、物語を作り、状況を変化させることのできる「転源人」と話し合えなかった。次回の訪問では、転源人を探し、胸襟を開き宿願への道筋を語り合ってみたい。

 都会は与え選ぶところ。厚沢部は自ら起こし、生み出すところ。立場の異なる都会の私たちであるからこそ、変革を生み出し続けることに一役かえると考えている。達人の精神・生きる力を学びながら。合掌。

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January 18, 2010

二人の偉大だった母の死を悼み、黙祷

この5カ月の間に、大変お世話になった方々が立て続けにこの世を去った。
Yukari Desjardins(2009年8月31日没)、Jill Jordan(2010年1月8日没)
この場を借り、哀悼の意を表するとともに、黙祷いたします。そして、合掌。

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私はこのお二人から、様々な刺激を受け続けてきました。
自然と共に生きる力のすごさと素晴らしさ、人との協力があって初めて成就すること、しかし、その根本には1人1人が未来を信じてやりきる、やりぬく責任感と実行。

私は縁あって2004年にこのお二人に出会った。その後、お二人の仲立ちがあり、マレーニで学生達の海外インターンシップを数年にわたり実施し、その度に学生達に直接声をかけていただき、「生きるとは何か」について考えるきっかけを与えていただいた。学生達は、日本に帰国後、それぞれ大きな問題意識を持ち、道を選択して行ったが、会えばいつもマレーニの出会いを良い記憶として残っているという。
筆舌に尽くしがたいほどの、学びをもたらしていただいた。改めて感謝したい。

当ブログにも、学生と行ったJill Jordanへのインタビューのまとめが掲載されている。2006年8月21日のブログ「マレーニのマザーこと『ジル・ジョーダン』に話を聞く!」お読みいただければ幸いである。

今も二人からは刺激を受け続けている。記憶の中の対話相手として、目に見えない微生物のあり様を考えることを通じて。匂い、声、手の温もり等、五感において。

Jillも次の書簡を公開することを許してくれると思う。改めて「生きること」の意味を私達に問いかけてくれている。
Yukariが亡くなった一報を私からJillに送った返信文書である。

Date September/ 3/2009
Subject Yukari’s Death

Dear Ukai-san
What a terrible shock to hear of Yukari's death, wasn't it?! I have to confess I wasn't even aware that she had a heart condition, and I was so close to her, especially when we travelled in Japan (4 times over a few years). But that was Yukari - always so positive and thinking of others' happiness - she would not have wanted others to worry about her, I guess.

Her death has been especially poignant for me, as 2 months ago, I was diagnosed with lung cancer, and decided to treat it completely by natural means. So I have quite a few people around me worrying that I am going to die soon - which I am determined will not happen. However, when I heard about Yukari, it made me "let go" of the fact I thought I was too young to die - that I had so much more to do ............ at 63, I have been very fortunate to be able to do what I have done till now.

It made me fully realise it's not the length, but the quality, of the life lived that is important. Our darling Yukari has taught me that!! I know she died doing what she loved, and her life, while she was here was such a blessing. All thanks for that! My heart is with Arnaud, Stefan, Juju and little Fabien............but I know they will do well - they are such a wonderfully resilient family.

With all good wishes to you, and thank you for contacting me (just in case I did not know): it was very kind of you. Keep up your great work, Ukai-san
Fond regards
Jill

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August 28, 2007

マレーニ 2007/8/28

8月28日(火)うれしいことに今日も晴天

 今日は、クリスタル・ウォーターズでパーマカルチャーを中心に学び、午後からはDairy Farmの見学とそこのオーナーとともにバーベキューを楽しんだ。皆既月食(the total eclipse of the moon)を見ることができ、感動と驚きが錯綜する心理状態も経験。

1.クリスタル・ウォーターズの有機農場訪問
2.パン屋さんで自然酵母をつかったパンの生産工程を理解し、ピザを一緒に焼き食す
3.アイリーン宅を訪問し、パーマカルチャーの実際を聞く
4.Dairy Farmを訪問し、搾乳見学。
5.皆既月食を見る。

1.クリスタル・ウォーターズの有機農場訪問 

 今回のコーディネーションを引き受けていただいたベロニカと一緒に、有機農場での作業を見ながら、話し合った。恐らくパーマカルチャーを理解するうえで、非常に重要なポイントと思われる、というより私が単に誤解していただけかもしれないので、導入として記す。

 私から、次のような疑問をベロニカに伝えた。「2年前にパーマカルチャーを実践するある家庭を訪問した時、不思議な感慨を覚えた。それは、今、あそこにあるようにオーストラリアに古来よりある自生の植物以外のものを植えてあったことだ。本当にパーマカルチャーなのか?」

 ベロニカは次のように回答した。「パーマカルチャーの基本的精神は、今ある環境と共生すること、自然のメカニズムを人間生活の中にも取り入れること、今あるものを大切にすることを基本に、持続可能な生活を送り続けること」であって、「その土地に固有の植物で生活することのみをパーマカルチャーと言うわけではない」。すでに、「多くの外来種が入り込み、それが生えてきたのだから、それも環境の一つとして対処するべきね!」

 でも、パーマカルチャーの考えからして、あそこの有機野菜の栽培方法は納得いかないわ!とベロニカがいった。その理由は、自然のメカニズムを取り入れるということは、同じ野菜だけを一列に並べることではない。昨日訪問したSandy Creek Organic Farmは、ローテーションさせていたけれど、それは同じ野菜を大量に作るための手段であって、自然のメカニズムを取り入れるとすると、本来はローテーションをしなくてすむ方法を取るべきである。それは、共棲という考え方!お互いに補完しあう野菜を隣同士で植えると考えた方がいいわね。時には背の高い野菜との共棲もある。

「事後談がある・・・
 訪問した翌日、ベロニカと夕食をとっていたとき、やはりクリスタル・ウォーターズの畑のことに話が及んだ。ベロニカはレスリー(後ででてくるパン屋さん)に、あの野菜の栽培の仕方は可笑しい。パーマカルチャーではなく、有機栽培だ。と問題を投げかけたと言う。レスリーは、その問いかけに対し、彼はパーマカルチャーを必ずしも理解しているとは言い切れない。残念なことに、このクリスタル・ウォーターズに居を構えている人全てがすべて、完璧にパーマカルチャーを実践している人は数少ないと言ってよい。例えばこんな実態がある。クリスタル・ウォーターズのホームページを読み来訪したヨーロッパの人々の中には、理想と実態に乖離がある、理想が実現されてるとは限らない事実をしり、失望して帰っていく人が多いと言う。」

 農場を見ながら、クリスタル・ウォーターズの人々があのような農場を作るのが腑に落ちない様子である。いよいよ、農場で働いている人と話す時間ができた。分かったことを次に書いてみたい。

 ①現在働いている人が、土地の所有者(クリスタル・ウォーターズ)より賃借(リース。年額550ドル)し、クリスタル・ウォーターズ以外の人に販売している。販売方法は、各地の小売店と契約し、そこの指定量を栽培するという方法。一部うれのこりも出たりするが、採算は取れているという。(鵜飼感想:先日訪問したSandy Creek Organic Farmと比較し、規模は小さく、マネジメントはあまり考えられていない様子)
 ②経営的な側面とは異なり、今年は、本当に寒く、霜が降りる状態で、野菜の成長も止まっていた。先週雨が降り、春の訪れを告げるとともに、今週は暖かくなり、ある野菜では1時間に2.5センチメートルも成長することを見ることができるよ。


2.パン屋さんで自然酵母をつかったパンの生産工程を理解し、ピザを一緒に焼き食す

 次に、お昼ご飯のピザを食べる場所で、オーナー兼職人の方(レスリー)より、自然酵母のパンの生産工程を聞き、試技を見せていただき、次にピザを食べさせていただいた。

 ここで分かったこと。
 ①イースト菌は、ビール酵母から由来するもの。大量に早く作る際には有効。でも健康にはあまり良いとは言えないね。対して、自然酵母のパンは、空気中にある酵母の助けを借りて、時間がかかり、大量に作れないが、身体には良い。
 ②ガス釜と石釜では、熱の種類と数がことなる。ガス釜では、基本的には空気を熱し、それでパンを焼く。石釜では、下側の石(レンガ)、空気、上側の石からの放射熱の3種類で焼く。焼き上がりが全く異なる。
 ③自然酵母を利用したパンを4種類ほど毎週作る。木曜日からはじめ、焼き上がりは土曜日の午後2時ごろ。この間、毎日、1~2時間ほどしか眠れない。一回に焼き上げる数は、4種類合計で250個。販売は、製造小売の工房で直販、マーケットに売りに行く、マレーニのCoopで販売するの3通り。
 ④直接販売であれば、一般的に普及しているイースト菌で発酵させたパンと自然酵母のパンの違い(例:押した時の弾力性。自然酵母パンは押しても戻ってこず、むしろ指が中に入る。)を説明できるが、間接販売であるとそれができず、クレームの電話を受けることもある。直接販売のよさは、買い手の食べた感想を聞き、新たなパン作りに活かすことができること。
 ⑤同じ方法で練りこまれたピザ生地で、特性ソース(8時間煮込んだトマトベースのもの)をつけ、チーズを乗せ、石釜で焼く。本当に美味しい。あっという間に、一人一枚分の分量のピザと野菜サラダを完食。
 ⑥学生と日本に持っていったときの市場価格を考えた。2500円くらいではないかと想定。その上で、当地での市場価格を尋ねたところ13ドル程度。一般的なピザは15ドルで売られているという。これって安くない?(2007年8月では、現在Australia$1=100円と考えてみると良いね。)


3.アイリーン宅を訪問し、パーマカルチャーの実際を聞く

 クリスタル・ウォーターズのパーマカルチャー生活を送っている方の中でも唯一自給自足(Self-Sufficient)の生活をしているというアイリーンのお宅を訪問した。彼女は、移り住んで10年、一人暮らしの63歳。50歳代前半といっても通用するだろう。非常に若々しい。ちなみに自動車などは持っておらず、近所の人に乗せていってもらうか、ヒッチハイクをして徒歩圏以上は移動すると言う。

 最初に、家の前で家庭菜園で採取される野菜、果物等を実物と写真で15分ほど説明を受けた。特に印象に残っている点のみを記そう。
 ①自家栽培した有機果物としてオレンジがある。理由は分からないが、このオレンジは時間を経ても表面は固くなるが、腐ることなくジュースとして十分に飲めるものよ!スーパーで購入するオレンジは直ぐ腐ってしまって、短時間しか保存が利かない。
 ②よく鳥に果実を食べられて困らないか?との質問を受ける。確かに鳥に果実を食べられるが、それで困っていると言うことはない。自分自身の分は十分食べたり、確保できており、それ以上の部分を鳥たちが食べている。確保できる果実が少ないものは、自分が半分を食べ、残りの半分を取りに分け与えるような方法を取ると、それ以上はとりも食べない。不思議であるが、今までの経験からこのように言うこともできる。
 ③苺ジャム、イチジクジャム、プルーンジャムを作り、マーケットで販売している。米、オリーブ油等、どうしても自分で作ることのできないものを買うための収入源としている。

 次いで、入口に移り、家の構造の説明がはじまった。デザインは自分自身で行った。お金もなかったので、決して大きく立派な家とはいえないが、機能的にできている。北側から太陽光を取り入れるように(オーストラリアは南半球であることに注意)、大きな窓を置いている(日本の建物にたとえて言えば、紡績や染色工場等で南から太陽光を取り入れるための三角屋根を想定して欲しい)。西側に向かい、入口に向かう道路を配置しているが、これは、冬に日が沈む際に十二分な太陽光と熱を取り入れるためである。遮る物が何もないようにね!夏は、日が当たりすぎると暑くなりすぎるため、太陽が沈む位置に木を植えている。温水は、太陽熱を生かし沸かすタイプと、冬はストーブを使うとその熱でお湯を分かるように仕組を作っている。(鵜飼注:サンシャインコーストのヒンターランドは、山であるため夏は涼しく、日本のようにクーラーとしてエアコンをつける必要はない。)

 いよいよ、バックヤード、家庭菜園に話が進む。同時に、庭を歩きながら、一つずつ大変丁寧にお話をしていただいた。やはり、特に印象に残っている点のみを記そう。
 ①何でもリサイクルできるものはする!隣の家が出したコンクリートの塊から落ち葉他をコンポスト化しミミズを活かし固形キャストと液体キャストを得、肥料としている。
 ②害虫駆除にはニンニクを細かく切り、水につけ、ニンニクエキスを含む水を、アトマイザで噴射する。
 ③マイクロ・クライメイトを家庭菜園に意識的に発生させ、収穫時期をずらす。私たちを取り巻く気候は変化する。それと同じように、葉への日当たりは良いが、根に近い部分(ボトム)が小屋で日が十分に当らないようになっていて冷えているため、小屋がない場合に比べ実のなる時期を遅らせることができる。
 ④ダックを飼育している。食用とするためだ。全てを食べる。例えば、リバーペーストにしたり、血はプリン状にし凍らせ保存する。血は重要な鉄分の補給源だ。
 ⑤家庭菜園は、家と水によって繋がっている。雨が降れば屋根から雨樋を経て貯水タンクに行く。先ずは生活用の貯水タンクにはいり、一杯になったら次の貯水タンクに行く。これが菜園用に用いられるものだ。続いて、菜園用の貯水タンクに入った水は、パイプを伝い、少し離れた(15メートルくらい)鳥小屋に飲み水として供給され、同様に貯水タンクから離れた坂の下のほうの菜園へパイプで給するするように出来ている。
 ⑥斜面の上側に家、下る斜面に菜園を作っている。水が急激に落ちないように木を植え、同時に地形としてくぼ地を作っている。
 ⑦私の土地はまだ半分しか活用できていない。残りの半分は、豚を飼育しようと思っている。理由は、食べ残りがどうしても発生するから、それを飼料として与えることの出来る動物として豚が適切だから。
 ⑧菜園での栽培の方法は、ベロニカが言っていたように、自然のメカニズムに近いように、整然としているわけではなく、雑然として同じ野菜もまちまちな場所に生えていたりするが、非常に元気に育っている。

 最後に、敷地内に別棟の家を建築中で、そこを案内していただいた。外装はほぼ完成、残りは内装と水周りの整備のようだ。家の設計は自分で、建築は知人の大工さんにたのんだという。大工さんと言っても今まで家を自分の力で建てた経験はないため、技能を高める機会として活用された形だ(推測だが、だから破格の安さで作られているのではないかな・・・)。この家も、基本的にリサイクルを前提に考えられている。床材、壁材は廃材利用。タイルも廃材利用。キッチンも隣家が捨てていたものを利用。天井のベニヤは最安値のもの、窓は中古品。将来、十分に動けなくなった時に、この新しい家に移り住み、現在の家を人に貸し、収入を得て生活する計画と言う。

 「現在、貯金はない。しかし、生活の最低限は満たされ、心豊かに生きている。私は、もともと非常に貧しい家庭で生まれ育った。そこから比べれば、今の生活は満足している。」と彼女は語り、終了となった。


4.Dairy Farmを訪問し、搾乳体験。

 乳牛約300頭(年齢でいえば2歳から12歳)、その他目的の牛が約200頭のDairy Farmを訪問した。マレーニのDairy Farmの規模は小さいと聞いていたが、実際目にしてみると非常に大きく感じた。同時に、搾乳を始めるに当っても午後3時からはじめ、終了は暗くなる午後6時ごろまで続く。この作業以外にも行うことがあるとするなら、朝から晩まで非常に長時間の重労働であることが容易に予想できた。

 作業環境は時には悪臭との戦いでもある。牛は自由に糞尿をする。一回でるともう半端な量ではない。搾乳のため集団で列を成して待っている時に、何頭かがあちらこちらで糞尿をするから、悪臭も倍増である。もっとも、悪臭と考えているから悪く捉えるのであり、人間も同じように糞尿をするから同じことだ。臭さの程度から言えば、雑食の人間の方がよほど臭いと思うね!

 小牛が何頭かいた。この1週間で双子の牛が2組生まれたという。雌と雌。牡と牡。この組み合わせは縁起が悪いと言われているそうだ。理由はあまりよくわからないらしい。一般的に双子が生まれる場合、牡と雌の組み合わせが多いそうだ。雌は乳牛として育てるため、親から離し小屋で6週間ほど育てた後、放牧する。2歳から搾乳を開始するらしい。他方、牡は、一週間以内にマーケットで売りに出す。いくらで売れるかは事前には分からず、その当日に何頭持ち込まれるかで変わるらしい。今までの経験から言って、安い時で一頭3ドル、高い時で一頭15ドル。

 へ~、こんな風に搾乳を開始するんだ!?と思ったことを記したい。午後3時近くになると、2人のペアで作業を行うのだが、一人が4輪バイクで牛追いにでかけ、徐々に乳牛が搾乳場所に集まってくる。ある程度集まってきた頃合を見て、もう一人の人が、搾乳機械に続く導入口のゲートを開け、搾乳場所に入るのをじっと待っている。無理に追い立てることはしない。今日は、我々がゲストで来ていて環境が変わったためであろう。30分ほども動かなかった。申し訳ないことをしてしまった。

 さて、ある一頭が突然前に進みだし、搾乳場所に入った。一回にどうだろう約50頭が搾乳できるようだ。飼料を食べながら搾乳される。この飼料が美味しいのだろう。一斉に、我先争うように一頭しか入ることのできないスペースに、2頭が陣取り合戦を始める。首が側壁と他の牛の腹に食い込む。こうなったら、もう引くより仕方がない。この繰り返しである。大変だ。学生達も搾乳体験をした。糞まみれになる学生もいたが、多くは無事終了。機械を乳首にあてるのだが、スポッと入る感覚らしい。

 搾乳体験が終わり、我々は、農場のダム(水の供給源)を見に行った。驚いたことに2つの大きなダムがある。この周囲を歩いて回ってみた。約60分ゆっくり歩いてかかっただろうか。景色もよく、大変清々しかった。


5.皆既月食を見る。

 Dairy Farmのオーナー宅で夕食を一緒に作り、歓談の一時を持った。我々が訪問することになっていたためであろうか、オーナーの義弟夫婦が来ていた。東京で16年間働き、この1月にマレーニに戻り、間もなくパーマカルチャーを実践するためジンピーににある購入した4ヘクタールの土地に引っ越すそうだ。奥様が日本人で、当地で日本人の定住者に会うことはほとんどないため、深い感慨にふけった。さらに、この方々は、昨年のインターンシップで井嶋君が作ったブログや、私が書いたブログの記事を読んでいてくれた。感激極まりない。

 皆既月食が始まった。段々月がかけ、赤い月に変化。その変化に伴い、月明かりが少なくなり、代わりに満天の星空が徐々に姿を現す。待ちに待った満天の星、星、星。天の川もはっきり見え、ただただ沈黙し見上げていた。

 良い一日の終わりとなった。明日からは、学生が2箇所に別れファームの仕事を手伝うことになる。今まで、視察し知識を得たことを、体験を通じ自分のものにして欲しい。

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August 27, 2007

マレーニ 2007/8/27

8月27日(月)

 朝から、青空の広がる清々しい天気である。待ち望んだ冬の暖かさが心地よい。このような中、訪問を再開した。

 本日の訪問は、Barung Landcareの技術者ジョンに環境再生についての大きな流れを伺った後、彼の案内でマカデミアナッツ農場の敷地内で行われている植林活動について実態を学び、続いて有機野菜栽培農場の現状について学んだ。昼にはグラス・ハウスマウンテンが全て見渡せる展望台でバーベキュー、夕刻はメアリ・ケンクロスパーク前から逆アングルからのグラス・ハウスマウンテンの眺めを楽しんだ。

1.Pacific Plantation
2.Sandy Creek Organic Farm
3.その他マカデミアナッツ農場

Barung Landcareの技術者ジョンから、次のようなことを学んだ。
①Barung Landcareは草の根で始まった環境保全活動の団体が、協同組織の形態をとり法人化したものである。全オーストラリアで4000団体程ある環境保全活動団体の一つである。
②オーストラリアでは市民活動が中心となり環境保全や再生の重要性を訴え、活動が進んできたが、ここ数年来3つの段階の政府(連邦、州、市)がそれぞれ環境保全活動に対する政策を打ち出すようになっている。
③今日訪問するPacific Plantationは、Barung Landareが約3年前から環境再生を一緒に取り組んできたパートナーであり、マカデミアナッツ農場である。この農場は、40年前から営まれており、現在は4から5つの農場が合わさった企業が運営している。加工工場を6つ持ち、海外輸出を行っている。
④Pacific Plantationのプロジェクトは、今までの開発で失われてしまった森を再生させるものであり、これは下流域にあるサンシャイン・コースとへの水供給源の涵養林整備として重要な意味を持っている。ここへの植林は、コミュニティ・ツリー・ファンドからの支援で5から6つの異なる団体が実施に当っている。あわせて200人以上の人々が植林に関わってきた。


1.Pacific Plantation

 上記のようにジョンから簡単な導入説明を受けた後、Pacific Plantationの運営企業の社長であるミックから、現場に携わる視点から説明を伺った。ミック自身はこの農場を7年前に購入したそうであるが、マカデミアナッツ農場自体は46年間続いている。

 マカデミアナッツの育成方法が変化してきている。特に害虫駆除の方法は、化学肥料を使った農薬ではない方法が採用され始めている。当農場は、350エーカーの広さがあり、収穫可能なマカデミアの木が5万本、成長過程にある木が4000本以上ある。そして5万本で年間300トン、将来的には400トン収穫が可能になると計画している。そして加工工場には、工夫されたナット・クラッキング製法が開発され導入されている。

 さて、OBI OBI Creek沿いの植林についてであるが、果たしてどの様な便益があるのだろうか?これにはグリーン・ムーブメントが大きく関わっている。ただし、いずれも資金面の問題がからんでくる。われわれは土地の提供等を通じ、活動を支援している。さて、環境保全と再生のゴールは、農場と市民が共通の目的に向かい一緒に協働することを通じ、お互いに関心を持ち、コミュニケーションを発生させることにある。これにより、地域コミュニティの再生に貢献できることであろう(ジョンがミックを補足して、語った)。

 この後、浅い年数の植林の場所から3年前の植林の場所へと移動しながら、植林の実態について認識を深めた。

 パイオニアとしての木を牧草地に植える。植えるのは、川岸に接するエリアから。パイオニアは、土地の気候や土の条件に合わせて選ぶが、比較的成長の早いものを充当する。パイオニアが成長し、キャナピができると、第2世代の木が生えてくる。その時期になるとパイオニアを切り倒し、第2世代を成長させる、次に第3世代を成長させる。

 森の管理は、どの程度で完了するのか?と学生から質問があった。これは的を射た質問であったようで、質問自体を評価された。むしろ、何時と区切るのが難しいのが森の管理のようだからだ。期限を区切らなければ何千年。ということは永遠に続くということを意味する。他方、第2世代が生えてくるまでとなると5年程度ということになろうという回答であった。

 最後に、マレーニに置けるゴルフ場の企画を行政がしていると実態に関心のあった学生は、この植林の一連の流れと逆行するのではないか?との問題提起をし、ミックとジョンの回答を待った。ミックもジョンも色々な立場で考え方が異なるというところで、それぞれの結論については明言を避けた。ここからは私の意見であるが、しかし、今ゴルフ場が計画されている土地は化学肥料等により汚染が進んでいる地域であるとするなら(どうやらそうらしい)、その状態に歯止めをかける手段が考えられてしかるべきであり、それ自体に間違いはない。むしろ、問題は、ゴルフ場か、それとも市民グループが地元紙で提案しているように各種のテーマパークを盛り込んだエリアにするかであろうが、どれを選択してよいかは、色々議論が分かれるし、本討議ゴルフ場が環境被害の原因であると断言するのも、他の管理方法を探れば、安全性の高い方法が見つかるかも知れず、結論を出すのは難しいね・・・。というところであろうか?


2.Sandy Creek Organic Farm

 Sandy Creek Organic Farmは5年半前に運営が始まった有機野菜を栽培する農場である。料金前払いのFarm Supporting System (or Customer Supporting System)で運営されている。例えば、1ヶ月分前払いで、指定した有機野菜を栽培してもらい、週1回ダンボールに詰めた野菜を入手する。人によっては、農場にとりに来るし、取りに来るのが難しい場合は、宅配する。

 ちなみに、この農場は専従スタッフ3名(社長含む)、パートタイマーが3名である。Barang Landcareのジョンは、ここでパートタイマーとして働いているということである。マレーニには彼が宅配するという。

 さて、品目としては、50品目余を計画的に栽培している。半数は種から苗を栽培し植える方法で、残りの半数は直に種を蒔く方法で栽培している。植え付けは毎週計画的に行われており、収穫は週3回、顧客からしてみると毎週1回届くように仕組まれている。この土地の土壌は農場名にあるように砂が多く含まれた水はけの良い土地で、先週の大雨でも収穫作業を中断する必要のないほどであったそうだ。農場を取り囲むようにクリークが流れており、この恩恵を大いに受けた土地であるとのこと。ただし、作付けにあたっては品目を気候に合ったように選定すると同時に、顧客のニーズにあったようにするのも忘れてはいない。また、中には、日本の野菜もあった。例えば、黒田人参。

 有機農場を始める前、この土地は、タバコ栽培農場であったらしい。有機栽培をする上で、土壌の改良を行った。日本の久我博士?(比嘉博士?)による微生物を使った土壌改良を実施している。

 栽培は、同じ品目が80メートルの長さで植えられており、一つずつの列で異なって品目となっている。土壌に含まれる植物の栄養素を管理するため、連作はせず、お互いに異なる栄養素を必要とする野菜をローテーションさせている。ある野菜が別の野菜の栄養素を土中にもたらす場合もある。

 有機栽培であるが故、害虫のコントロールに苦心する。この土地は、周辺を森林で覆われ、害虫の天敵となる鳥等も多く生息していて、自然にコントロールされている。Barang Landcareのジョンは、森林再生の意味は、このように自然なペスト(害虫)コントロールを実現させるためにも非常に重要なことであり、この有機農場は地理的な条件を考えた上で運営されている補足した。

 なぜこのような農場を始めたのかとオーナーに尋ねたところ、自分が美味しく、健康になる食べ物を食べたいからとの返答。

 さて、興味深い話の中に、流通のタイプと農場経営の持続性に関する話があった。このOrganic Farmは上述のサポートシステムにあるように、消費者と生産者がダイレクトに繋がっている。それであるからこそ経営を続けられていると強調していた。そして、次のように解説を加えた。仮に生産者と消費者の間に、消費者から見て小売店、次に卸売り店、そして次に生産者があるような2段階のステップがあったとしよう。小売業者が競争の結果、安売りにでるとする。仕入れ価格の引き下げを小売側は卸売り側にする。すると、当然、卸売り側は、生産者に仕入れ価格の引き下げを要求してくる。この繰り返しで安くなってしまう。そうすると、生活と農場を十分に維持するために、大量栽培方式を取らざるを得ず、有機栽培では難しくなると同時に、さらに仕入れ価格の引き下げ圧力で終いには農場の維持が難しくなるだろう。


3.その他マカデミアナッツ農場

 比較の意味で、異なるマカデミアナッツ農場を訪問した。質問と言うより、見学がしゅであり、どのような種類のナッツを栽培しているかを学習した。ここでは、マカデミアナッツを試食し(いったもの、いったものに塩を振りかけたもの)て味を堪能し、ナッツを包む殻(外皮)は堆肥化したものを栄養素の一つとして木に与えることを知った。見学中、ワラビーを見ることができた。どうやら本日早朝には、敷地内のユーカリの木にコアラがいたらしい。

 この他、ハワイのマカダミアナッツとの関係について知ることができた。1960年代初頭に、ハワイから来た人物がマカダミアを持ち帰り、チョコレートをあわせ販売するようになったらしい。今では、マカダミアというとハワイと思っている人が多いが、元々はオーストラリアで自生していたものである。

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August 23, 2007

マレーニ 2007/8/23

8月23日(木)依然として、強い雨と風。そして、霧。寒い。

 本日も学生全員(6名)とベロニカ、鵜飼の8名でファームを中心に訪問した。今日は朝8時30分スタート。訪問したのは、次の3件。

1.Eco Farm Lodge
2.Landsborough Museum
3.Worm Farm

1.Eco Farm Lodge

 10時より13時まで、Eco Farm Lodgeを訪問する。オーナーの奥様であるケイトがEco Farmの理念とサービスについて、雨の中、大変丁寧に説明していただいた。

 Eco Farmは5年前に土地を取得し、開拓が始まった。現在は、一部を除きほとんど開墾が進み、ゲストを受け入れることができるまでになっている。(現在は、オーチャードの一部の整備とダムの整備が進行中である)

 さて、ここまでの開墾をどの様に進めてきているか?多くの自己資金を投じ、大型特殊車両(トラクター他)を購入する以外に、WWOOF(Working Willingness of Organic Farm)システムを活用している。このシステムは全世界いたるところであり、オーストラリア独自のものではない。日本でもあるらしい。例えば、Eco Farmには先週まで日本人一人がWWOOFとして働いていた。このシステムを簡単に解説する。WWOOFシステムを動かす組織がある。WWOOFをしたい人はこの組織に登録料を支払いメンバーになる。行きたい国等を登録し、紹介がいるのを待つ。

 他方。WWOOFをお手伝いとして使いたいOrganic Farmは、やはり組織に登録をし、紹介があるのを待つ。さて、両者の希望が合いWWOOFがOrganic Farmにきたら、WWOOFは無報酬で労力を提供する代わりに、Farmは宿と食事を提供する。このEco Farmは、テント作りの本当に感じの良い4人ほどが泊まれるWWOOF専用の宿泊施設があった。テントは、モンゴルのパオみたいで、泊まってみたいと思うね!

 さて、さて。我々は、まずケイトに自己紹介から始めた。といっても、名札に英語で名前を書くだけであるが・・・。その後、ケイトから、何時、どんな目的でこの土地を取得し、今までどの様な過程を経て開墾を進めてきたか。同時に、Land for Wild Lifeの認定を受けることができるほど、自生の動植物に溢れた土地であることが説明された。他方、B&Bを経営しており、現在4名まで宿泊可能であると言う。B&Bの認定を受けるため道路の整備、消火栓等の整備を規定に沿い行っていることも説明があった。

 B&Bの部屋とコモン・ルーム(共用部分)を見学したが、ケイトとご主人のオーナーが日本の文化が本当に好きであることが理解できた。水墨画、仏像、版画等日本に関わる美術作品が多く壁に吊り下げられていたり、家具の上に置かれたりしていた。事前に私は、ベロニカより、ケイトがセカンド・ランゲージとして英語を学習する人々に対する指導資格を持った先生であることを聞いていた。部屋やFarmの解説中にも、いたるところで、クイズ、質問等が行われ、Farmにあるもの全てを使った、地に足の着いた英語学習ができる環境であることが分かってきた。

 約50分にわたりEco Farmを外から解説付きで歩いた。雨が激しく降っていたが、外套を着こんで対応した。でも寒いが、聞くことが全て興味深い。例えば、あの白い箱は何か?答えは、養蜂。この道路の青い反射鏡は?消火栓を示している。この草は何か分かる?カンガルー・グラス。私達は、カンガルー・グラスを残すように、他の草を抜いている。ここの土は、最初、多くの植物を植えたのだが、土地が粘土質で成長できなかった。そこで、3年間かけて、グラスを植えたりして土の質を変化させた。その結果、現在では、良い土になった。さらに、アボリジニが鍬など刃を砥いだというサン・ストーン等の解説を聞き、部屋に戻った。

 部屋に戻ってからは、ケイトが英語の先生に早変わり。ベロニカが来週グラス・ハウス・マウンテンズに行くので、事前に知識を与えたいとの希望を伝えていたからであると聞いた。学生達は、いやな顔をせず自然とケイトの講義に入った。2度ほどアボリジニの伝説を聞き、物語のカードを並べ替えていた。完全一致は3組中一組。他の組も2枚ほどの並び方が違っていただけで、ケイトはOKを出していた。次に、同じカードを使い、オリジナルな物語を作ることになり、3組とも特徴的な物語を作り、片言ながら英語で話し、ケイトもよく理解できたようでOKをだしていた。ケイトは、Eco Farmが本格的に立ち上がったら、日本人や韓国人の学生を受け入れ英語学習をしたいとの希望があり、愛知学院大学の学生がその英語学習の第1号として、写真に収められた。

 その後、Eco Farmで採取されたグラス、きんかん、蜂蜜等をたのしんだ。その後、ベロニカが用意してくれた昼食を食べた。全員満足。有機野菜のサラダ、チキンの丸焼きのスライス、パン、マヨネーズを各自好きな量をとり、サンドウィッチとして食べた。最後は、ケイト手作りのチョコレートケーキ。本当に美味しく楽しめた。


2.Landsborough Museum

 Historic Townとの標識が街中にあることからも分かるように、1800年代から1900年代初頭にかけて徐々に開発が進んだ地域である。マレーニは、このLandsboroughから西の山側へ約15キロ内陸に入ったところにある。1900年代初頭に作られたマレーニの町の写真も飾られていた。現在でも何棟かは当時のものが使用されているそうである。


3.Worm Farm

 ミミズの糞を飼料として加工する農場を訪れた。代表はボブという68歳の元気で、ユーモア溢れるおじいちゃんである。ちなみに背が私より低い。約160センチメートルであろう。突然の訪問にもかかわらず、親切にミミズの効用を教えてくださった。

 約30年前からこの仕事をしている。ミミズ自体を養殖し販売する農場ではない。ミミズが紙、コンポスト、動物や人の糞を食べ、非常に栄養分の多い糞を自然界に返す特徴を生かし、ミミズの糞(キャスト)を効率よく生産し、販売する、時にはその方法を販売したり、大規模な土壌改良などのコンサルティングを生業にしている。

 キャストを得るのに適したミミズがあり、この農場では4種類もちいている。例。赤ミミズ、○、○、○(通訳に主眼を置いていたため、メモを取らず具体的な名前を忘れてしまった)。当初、4000匹のミミズで始め、現在では120万匹ほどになっていると言う。

 さて、ミミズのキャストは、どの様に植物の成長に貢献するのだろうか?ボブは、まず、固形のキャストと液体キャストとの比較から始めた。液体キャストと固形キャストは同じもので作られている。ただし、液体キャストの方が固形キャストよりバクテリアが50倍多い。このバクテリアが植物の成長には欠かせない。バクテリアは、触媒となり、植物が生長するための酵素(Ensyme)をよく生成する。よって、バクテリアが多い液体キャストの方が植物の成長をよりはやく促す。もちろん、目的に応じて液体キャストと固形キャストを使い分けることが大切だ。

 以上のような解説をボブは行った後、黒鞄から写真を取り出した。4枚の写真は、2枚一組のペアになっていて、それぞれのペアをAとBとしておこう。Aは化学肥料を使って育てた植物、Bは液体キャストを使って育てた植物の成長の軌跡である。植物は同じ種類で、成長の違いを測るため同じ人物がそれぞれの写真に写っている。Aは15ヶ月間の成長、Bは12ヶ月間の成長の軌跡である。驚いたことに、圧倒的に液体キャストを使用した12ヶ月の成長のBの方が、化学肥料を使用した15ヶ月のAより豊かに成長している。化学肥料は土中の多様性を失わせてしまう結果、成長が遅くなるらしい。(私達は、大学の講義で民間企業に協力をいただきバーチャル・カンパニーを立ち上げる準備をしている。その一環で、ワーム・ゴールドというミミズからの生成物の存在を知り、その効果を調査した経験がある。今回のWorm Farm訪問は、ミミズの効用を再認識することとなった。)

 さて、どの様にミミズが排出したキャストを集めるのだろうか?これが、この農場の一つの重要なポイントである。底が網目になったトレイをイメージして欲しい。1メートル四方で、深さが大体10から15センチメートルであろう。その半分ほどに、コンポストを入れ、その上にミミズを入れる(ちなみに発泡スチロールにミミズ1000匹はいったものを販売していたので、そのくらいがミミズの量の単位だろう)。ミミズがコンポストを食べ尽くしキャストを出すところで、上に2層目のトレイを置く。このトレイにもコンポストが入れられている。同じように3層目、4層目と重ねていく。その間、定期的に、トレイに散水する。最初は水、次はバクテリアを含んだもの、続いて水をかけるらしい。ちなみに、よいキャストを得るためにバクテリアを含んだ溶液が重要らしい。1リットル3ドルで販売していた。

 話を聞いている間、ボブのお客さんが3人ほど来た。その中の一人が、小型のバスケットを持っている。それをきっかけに、ボブは、家庭用の製品を見たいか?と尋ねてきた。家庭で生産的にできるかどうか難しいと思っていた我々は、今まで大規模に行われてきたものをミニチュア化したトレイを見せられた。液体キャストも取れるようになっている。なるほど・・・。他にバスタブでもできるぞ、なんて冗談かと思ったら、本当にそれをミミズ用に転用していた。何でもできるんだと笑いながら話をしていた。

 最後に、ニュージーランドのある地域でのコンサルティングの話をしてくれた。そこは、元々牛の首を切り離し、他は川に流すという風習があった。汚染が進む。でるものをワームに食べさせ、キャストで800ヘクタールのレモン果樹園をつくった。全量日本に輸出され、産業を生み出し所得向上に貢献したという。三方よし。生態系、経済、行政。こんな素晴らしいことはないな!

 学生の儲かりますか?という質問に対し、私は自然のメカニズムを少し生産的に下に過ぎない。もうけよりも、自然を生かした生活を広めることに意義があり、儲けは二の次。生活できれば良いという考え方でいると、ボブは回答した。


余談・・・・・
雨が依然として降り続くこの日、学生をホストファミリーに送り届けにいった。そこはダグラスお爺さんの家だ。昨年も学生が大変お世話になった。私も夕食をともにし、楽しい一時を過ごさせていただいた。彼の家の庭に車をつけ、学生を降ろし、帰ろうとしたその時。私のフォード・テリトリーの後輪が空回り。バックは可能。向きを変え、前進のためアクセルを踏む。空回り。これを数度繰り返す。まだ、フェンスまでには十分な距離があると判断した時、左後輪が段差に落ちてしまった。前にもいけず、後ろにもいけず。雨の中、何かを噛ませ、このアクシデントを脱出しようとしたが不可。ダグラス爺さんが買い物から帰ってきて、隣の人に紐を借りて、彼の小型4WDで引っ張ってもらったが、私の車が重すぎて全く動かない。何度もトライしたが効果なし。

プロフェッショナルに任せることにした。既に真っ暗で雨風も強く作業は困難と判断し、明日電話することにした。ということで、ダグラス爺さん宅に逗留することになった。美味しい食事、デザート(手作りアプリコットの甘煮)、会話、ゲーム。寝る段になり、風雨がより強くなり、暴風雨状態。水漏れもしている小さな家は、今にも吹き飛ばされそうである。それだけでもあまりの音のすごさに閉口するところに、雷の音も加わり、飛行機に乗ったときに使う耳栓をしても寝付けない夜を過ごした。

翌朝は、トーストを取った後、Thriftyのロードサイドサービスに連絡し、結局、RSAQが来る。日本のJAFみたいなもの。これらも車が動かない状態に苦慮し、結局1時間ぐらい脱出にかかった。料金120ドル。保険でカバーできるはずだが?と問うたが、まずは支払い、後で保険から料金を返還してもらって欲しいということになった。果たして、カバーされるのだろうか?

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August 22, 2007

マレーニ 2007/8/22

悪夢にうなされて目を覚ます。どんな夢だったかは今では思い出せない。
7時におき、停電が直っているかどうかを確認。依然として停電のまま。
8時頃に出田をベロニカとともに、アカウティング事務所に迎えにいく。
朝食をとった後(軽食:果物と牛乳のみ。グレープフルーツに砂糖をつけ食し、次にリンゴにゴマや豆類をつけて食べ、最後にパパイヤを食べる。美味しく味わえる順序だ。)、早川、加藤、磯野を迎えに行き、その足で、本日の社会体験が始まる。

今日の社会体験は3箇所。
1.Emu Products Producing Farm
2.The Heaven in the Hill
3.The Old Dairy Farm

1.Emu Products Producing Farm
 Emuパイを食べるからね!と言われていたので、てっきりEmu酪農家が、食用に加工食品を付加価値を高めるために作り、売っているものとばかり思っていた。しかし、Emuから抽出するOilを原料にした商品を主としていることが分かった。10時から11時30分の90分で、いろいろな話をうかがった。

 さて、社長のピーターは大変気さくで、誠実な人であった。今抱えている問題と商品の質的な面を包み隠さずわれわれに伝えてくれた。

 話は、我々、特に学生からの自己紹介、そして「なぜ、Emu Farmに来たか?」を一人ずつ説明するところから始まった。ピーターは、私に、学生達の視点を知りたいのと同時に、どの程度、自分が話す英語を学生達が理解することができるかどうかを推し量りたいからだ、と説明した。

 はたして・・・。ほとんどの学生が思いを伝えられない。まざまざとその現実を突きつけられた。といことは、ピーターが話している内容を、まったく理解できないことも容易に理解できた。これはどうやら通訳が必要らしい。今回のマレーニ体験プログラムでは、私の出番はないと思っていたのに・・・。それはさておき、一つ誤解が生んだエピソードを紹介しよう。

 ピーターは、ある学生が自分の思いを英語で伝えることができないとき、他の学生が助けるように促していた。いつも助けていた学生が自己紹介と質問をする番になった。その時、ピーターは、「次は、スポークス・マン」と、その学生を促した。ところが、学生は「スポーツ・マン」と聞き間違えたらしい。その日着ていた服がサッカーに関するものであったためか、てっきりピーターがそれを読んでいったものと誤解したらしい(ちなみに、ピーターは一切日本語を理解しない)。なぜサッカーをしているのか、サッカーをするとお腹がすく、今日この服を着てきたのは寒いからだ、と答えた。

 さすがにピーターもこの回答には驚き、苦笑していた。どうやら順番を変えて、Emuパイを最初に出すことに決めたようだ。OKといって、立ち上がり、キッチンのオーブンに行き、それぞれにEmuパイとBeefパイを皿に盛り、我々に試食させてくれた。焼きたてのパイで、雨が降り続き身体の芯から冷えきっていた我々にとり、正に天の恵みであった。聞き間違いに「感謝!!!」

 Emuパイは、Beefパイに比べ、美味しいものであった。Emu自体の肉がどの程度Beefに比べ美味しいかは分からない。美味しさの理由は、Emuの挽肉に、塩、胡椒、チーズ、トマト、赤ワイン他を混ぜ良く炒めたものを、パイ生地に包んでいるからだ。他の肉以上に美味しく食べることができるように、そのレシピは、Emuの肉の価値を高めるように工夫されていた。

 恐らく、このようにレシピが工夫されている理由は、Emu自体は本当に価値あるものであると、我々(消費者)に分からせるためであろう。こんな美味しい肉自体を売るのではなく、この価値ある鳥「Emu」から抽出された「Oil」にこそ価値があることを示すためであろう。

 さてさて、ピーターは、Emu Products Producing Farmを経営している。既に、Emuを飼育し、肉を売る商売はしていない。あくまでも、Oil関連商品を作るためにEmuを飼育している。Oil及びOil関連製品は、Brisbaneにある加工会社にアウトソーシングしているらしい。いわゆるファブレス会社である。

 そこで、まず、Pure Oilから、商品の説明を始めた。保湿効果がある。それから派生し、ユーカリエキス等を配合した肌荒れの回復に役立つ商品、ナイトクリーム、目じりや目の熊を回復させるアイクリーム等の説明に移った。途中から、日本語のホームページもあり、そこに各種商品の説明が日本語で載っているとの解説を受け、一部プリントアウトしたものをいただいた(クイーンズランド大学の日本人教授が翻訳したものらしい)。商品説明を受けながら、試してみた。

 それから、経営面での話が始まった。肉として販売した場合のEmu一羽当りの値段、脂肪の値段、Pure Oilの値段・・・・・アイ・クリームの値段。アイ・クリームが最も高い価格で販売できるようだ。

 しかし、供給者サイドから見ると、アイ・クリームだけを売りたいのだが、まだまだEmu Oil製品の効果が消費者に理解されておらず、理解を促すためにも多様な商品ラインで販売せざるを得ないのが現状である。したがって、最高に利益率が高いアイ・クリームのみを売った場合の利幅は理想であるが、現実にはそのようになっていない。

 小売価格一覧表を見せてもらった。卸価格は、小売価格の50%だそうだ。日本の会社がEmu Pure Oilに着目し、日本の販売代理店契約を結び販売している。この会社は、サンリッツといい熊本県に本社を置く企業である。だから日本でも手に入る。しかし、価格は大分高いものになっている。

 例えば、この日本の会社が取り扱う製品は、Pure Oilのみのようだ。小売価格は消費税込みで6300円と新聞広告にあった。ピーターが用意した英文パンフレットにある小売価格の約2倍である。卸売価格でピーターは日本に出しているから約6倍になっているようだ。ピーターは、Beef肉でも同じと言っている。

 ピーターは日本語のホームページを用意し、日本向けにネット販売をしている。価格は、英文パンフレットと同じ。でもなかなか販売数は伸びないのだと言う。生産ではなく、市場に問題がある。つまり、Emu Oilの価値をどれだけはっきりと日本の消費者に理解してもらうか!その部分の努力と戦略が足りないと、ピーターは考えている。また、現在販売提携している日本企業は、他のEmu農場と直接取引し、Oilを精製しようとして動き始めているらしい。(鵜飼:コアコンピタンスをハッキリさせ、守り、比較優位を打ちさせるようにするための戦略が必要!)

 さて、ピーターは、1993年からEmuの飼育と事業化することに取り組んできた。既に約15年を経過している。「現在の事業収入と今後の見込み」について学生から質問があった。現状では、さほど大きな売上を上げているわけではない。しかし、今後は、観光ルートに盛り込んでもらう努力をし、バス等で乗りつけ、購入してもらうように働きかけている。加えて、輸出にも力を入れていく。そうすることで利益総額も大きくしていきたい。との回答であった。なお、Emuは歴史的にアボリジニによって飼育されている件数が多いようである。クイーンズランド州内にはピーターの農場以外に4件、オーストラリア全域でも50件程度であると言う。

 ピーターのビジネスモデルを見ると。
自社でEmu飼育(孵化から飼育)→(Ingredient等のレシピ)→精製・製品化のアウトソーシング→自社直接販売(国内外)+海外販売代理店への商品提供


2.The Heaven in the Hill

 午前中から昼過ぎの午後2時までThe Heaven in the Hillを訪問。依然として、強い雨が降り続いている。本当に寒い。

 さて、The Heaven in the Hillは、個人から団体向けロッジ型の宿泊施設とワークショップ施設をもちながら、各種のサービスを提供する会社である。ここの特徴は、地球と身体に優しい運営を基本理念においていることである。この理念にそい、ハードとソフトが作りこまれている。

 例えば、電力は太陽光発電と風力発電で賄われており(我々はコンバーター等、生活を支える背景を学ぶことができた)、水は天水(飲み水は幾重ものフィルターを通して使用。最大で飲料水等に7万ガロン貯めることのできる貯水槽がある。これ以外には山火事発生時の緊急貯水槽が2つ別に設けられている)、散水は洗濯水や洗浄水を活用するなどしている。運営上のサービスメニューから言えば、精神的なセラピーとマッサージのサービスがあり、心を病んだ個人客の要望に応えることができるようになっている。また、団体は、ワークショップに対応できるスペースがあることから、今週ではボーイ・スカウト指導者研修で12人、その後、社交ダンスクラブが31人でダンス研修を行うことが決まっている。

 また、宿泊施設や家屋の内外壁には、鏡やガラスを用いたモザイクが飾り付けられている。このモザイクは、全てオーナー自らが手がけていると言う。古い客車が、ロッジとして転用されており、天井は当時のまま、その他も極力、客車の雰囲気が崩れないように手が施されている。他のロッジについてもモザイクと地元産の木材が所々で使用されており、リラックスできる空間となっている。

 ロッジ群を取り囲む森林は自然林であり、色とりどりのパロット、ワラビ(いずれも野生)が訪れ、来客者を楽しませると言う(この日は残念ながら強い雨で、いずれも見ることは叶わなかった。

 雨の中、外とロッジの中を交互に行き来しつつ約1時間話を聞いた後、野菜スープとライス(インディカ米)をいただく。心底冷え切った状態から回復できた。学生達は、あまり食べないのには驚いた。


3.The Old Dairy Farm

 午後2時過ぎから4時近くまで、The Old Dairy Farmに行く。名前から想像していたのとは異なり、余り広くない(牧場全体の敷地面積:20?ヘクタール)。オーナーであるピーター・スティーブンス(48歳)が、農場の特徴と経営について語ってくれた。

 農場経営は厳しい状態が続いてきた。かつてマレーニ地区で40ほどあった農場は、現在では10件を切るまでになってしまっている。残ったものも土地の広さからいって牛の頭数400頭がせいぜいであり、農場として生き残るため新しい理念に基づく経営が必要となっている。

 1つの方法は、しかも、多くの農場がこの考え方に追従しようとしているのは、肉としてではなく、乳製品を作る経営である。Maleny Dairy Farmはその良い例である。政府より補助金をもらい加工工場を作り販売する。他の多くの小規模農場は、このMaleny Dairy Farmに乳を提供しているという。ピーターは、この方法を選択しなかった。

 別の方法で、ピーターが選択した方法は、農場を維持しつつ農場の環境を楽しみたい観光客向けのロッジを経営することであった。この方法を選択することに伴い、様々なことを考えている。以下ではその考え方のポイントを紹介しよう。

 ちなみに彼の経歴は、約10年年金関係の事務系の仕事、約6年観光産業に従事、約8年調査コンサルティング会社で働き、その後農場を購入して現在で6年目である。様々な職種を経験し、その中で論理的に考えるようになり、農場経営も他とは異なる方法を選択するに至ったのだろう。ちなみに、ピーターは現在が最も充実していると言っている。最も地理的に高い位置で働き、他を見下ろすことができるから、といたジョークが飛び出すほど、充実し、考え実行したことが良い結果になって現れているのだろう。

► 農場の経営資源を活かし、また、経営資源の価値を高め、多角的に事業を展開する。現在、酪農(食肉用)、宿泊(ロッジ)事業、芸術家支援事業、農場環境の保全事業の4つの領域である。それぞれの事業は相互に関連している。
► 短期的に儲けることができるかどうかで農場経営を考えていない。現在48歳であり、年金を取得する年齢になる15年ほど先をみながら経営をしている。
► 従来の方法で酪農を行っても事業収入(利益?)は10年で考えても7万ドル?だが、宿泊事業は年間で4万ドルの事業収入を上げている。農場を40万ドルで取得したが、現在の価値は3倍の120万ドルにまで高まっている。この農場の環境を維持保全するようにすることは、資産価値を高める上で非常に重要なことと考える。酪農からの利益の全額を保全事業に再投資し、宿泊事業からの利益が生活費他に充当される。(Barung Landcareのジョンとの話し合いの中でしったことであるが、土地の価値については社会的な意識の変化が大きく作用しているのではないか?ということである。かつての農場の価値は、一面牧草地であることがよい農場とされていたので、森を持つことはマイナスであった。他方、現在は、観光資源として農場が認められるにいたり、それに伴い自然の姿に戻すことが価値を高めるように作用しているという考え方である。8月27日(月)に隣接地のマカデミアナッツ農場のPacific Plantation側から、森作りの大切さを学んでいる時に、解説者のジョンから教えられた。)
► 土地を保全維持することは重要なことであるが、よりよい牛を育てるためにも、牧草地の管理は重要である。この土地の地下には粘土層(クレー層)がありPH値+4が普通の状態のようだ。そこで、PH値+5~6を維持できるように表土を管理している。
► 食肉用の酪農事業は、ニッチ市場を狙った戦略で、高級食肉(オーストラリア国内向け用)の生産に向け酪農を行っている。放牧し草のみを食べさせるように成育し、18ヶ月までの牛を食用にまわしている。最高級品としては6ヶ月の小牛を出荷している。なお、牛肉が最も美味しいのが夏である。2月から4月がベストであろうか!
► ロッジは、かつての牛乳を搾っていた小屋を宿舎に改造している。
► 牧草地に当地特産のアボガド等を植え、出荷する方法もあるが、当農場はその方法を選択しなかった。アボガド用に機械を買い、育成と収穫、出荷に多くの人を雇うことが必要になる。市場の環境が良い時はいいが、悪くなることもあり、過大な初期投資で身動きが取れなくなることを避ける戦略を採用した。
► 当面は、現在の方法を守り、自分達の生活が維持でき、管理しやすい規模で、資産価値を高める方法を中心に進める。

【学生の質問に答えて】
Q:日本では後継者が不足しているが、こちらではどうか?
A:オーストラリアでも同じことが言える。後継者不足は一般的だ。朝早くから長時間働き、重労働である。私が購入したこの農場は4代に渡ってある一族が所有してきたものが、売りに出されたものである。この農場も後継者がいなくて、私が買った。先にも述べたが、酪農の経験は一切なかった。しかし始めて6年。習熟曲線で段々と理解が深まり仕事もやりやすくなってきた。未経験者でも、やる気があれば何とかなるだろう。

Q:農場の規模を見るとオーストラリアの方が日本より圧倒的に広い。さぞ大きな利益が得られるのだろう?
A:一概にはそうとも言えない。つまり、農場の規模がそのまま1頭当りの利益率の高さに結びつくわけではない。日本では非常に狭い場所で、非常に高額な牛を育てているじゃないか!オーストラリア産の平均的な牛の1KGあたりの売値(農場出荷時)3ドル?程度にしかならない。

Q:オーストラリア牛は美味しいですか?
A:美味しさの定義が国によって違うんじゃないかな?日本人は和牛のさしのはいった肉が好きと聞く、英国人はハイランド地方で育った肉がすきという。その国の食文化に根ざした美味しさがあると考えた方が良いのではないかな?オーストラリア牛を前提に考えれば、飼料ではなく、良い草を食して育った牛が本当に美味しい。肉になる時期によっても美味しさは異なる。夏ですね!

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August 15, 2007

Maleny in 2007

Cultural Study Program in Maleny(Written by Hiro Ukai)

Background of this program
Aichi Gakuin University (AGU) has conducted on the Global Internship Program for last two years since 2005. AGU evaluated that this Global Internship Program was successful. It is because students who participated in this program have changed their behavior dramatically since then.

However, the new dean of the Faculty of Management has set a new strategy to redistribute resources into the domestic program development. As a result of this decision, we had to stop recruiting students who hope to study and work abroad officially.

On the other hand, several students insist that they disappointed this decision and are still keen to have a certain experience abroad. Therefore, I (Prof. Ukai) personally have decided to create an alternative program such as “Cultural Study Program in Maleny”.

What are different from the former program?
1) No work at the office, but stay and help at the farm
2) No English class, but feel Maleny’s culture with the farmer
3) No four-week fixed stay, but flexible and customized stay based on student’s offer

What is the 2007 Summer Program?Cultural Study Program “on the Farm Stay” in Maleny!
This is the theme of 2007 Summer Program. Students who take part in this program stay at the farm, experience daily life with the farmer and understand Maleny’s culture at the end of this program. It is fact that most of students can’t speak English fluently. However, I am sure that they could feel something special Maleny has.

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August 21, 2006

マレーニのマザーこと「ジル・ジョーダン」に話を聞く!

 ジル・ジョーダンに話をうかがった。彼女は、今のマレーニを築く草創期から関わってきた「マレーニのマザー」のような存在で、生き字引であると同時に、今なお旺盛にコミュニティ活動や新規事業の立ち上げを通じ、マレーニのユニークさをリードしている。先日のトニーの話も、ジルのインタビュー記録をお読みいただくことで、よりはっきりしてくると思います。インタビューの主たるテーマは、「ジルの足跡をたどりつつ、マレーニが他に秀でているところを探る」です。なお、文中に「コミュニティ」という表現が度々出てきますが、「共同体」と読み替えていただいてよいと思います。しかし、文脈の中で同じコミュニティが地元のとか、地域のという意味で使われているところもあります。

1.ジルの現在の主たる仕事から彼女の専門を探ると?
► 様々なコミュニティ・グループに関わることをしているわ。現在、仕事の中心は、バイオリティックス(Biolytix)という会社のCEOであり、マネージング・ディレクターという業務よ。
► 【なぜ、この会社のCEOというポジションについているのか?という問いかけに対し・・・】人が自分の事業を始めるのを助けたいから。会社やコープ(協同組合)等、の組織の形態は問わないの。どんな事業も立ち上げは苦労するわ。でも共通する問題もあることも事実よ。だから、私は、自分が過去34年にわたって幾つかの新規の事業を立ち上げてきた経験を活かして、「起業のプロフェッショナル(専門家)」を自認し、一緒に協働するスタイルで新しい事業の立ち上げを支援しているの。

2.最初に中心になって立ち上げたメープル・ストリート・コープは、なぜコープ(協同組合)の組織形態をとったのですか?
► コープ(協同組合)という形態の最も優れているところは、よりセルフ・リライアンス(Self-Reliance:独立独行)という点ね。しかも、このコープは、法的にも認められた事業組織であるから、なおさら良かったのよ。
► コープ(協同組合)のセルフ・リライアンス(独立独行)の意義は、見込み客すらよく分からない普通の株式会社形態の事業と比較すると良くわかるわ!つまり、コープが実践する事業は、組合員がそもそも欲した商品やサービスを扱うから、事業開始の時点からそれ以後の運営の面においても組合員が第一の顧客になるわね。つまり、安心でき、安定している仕組。これがセルフ・リライアンス(独立独行)の基本的な意味かしら。

► 筆者注1
 コープは、日本的に考えれば、事業協同組合、企業組合、生活協同組合等、多様な形式があります。マレーニで、ジルが創業メンバーの中心として関わったメープル・ストリート・コープは、生活協同組合とほとんど同じであると思います。もちろんマレーニには、他の組合形態、例えば事業協同組合もあります。組合形態の種類よりもマレーニで重要視されているのが、コープ(Co-operative)が内面に含んでいる精神と人の関わり方にあります。
 そこで、オーストラリアのコープ(Co-operative)の規定を紹介しておきましょう。参照先は、http://www.australia.coop/publish/cat_index_76.php の中にある記事「what is a Co-operative?(コープ【協同組合】って何?)」で、以下はその要約です。
 
「コープは、事業運営形態から言えば、私企業や公企業とは異なり、コープのメンバー・ユーザー(組合員)により所有され、コントロールされている事業です。コープは、農林水産業、コミュニティー・サービス、金融、教育、メディア、レクリエーション、小売業、運輸(パッセンジャー向け)、生活基盤(電気、ガス、電話、水道)等、どの様な業種でも設立できます。そして、先に挙げた私企業や公企業と比較して、民主的で、開放的で、ボランタリーで、コミュニティに根ざすという点で違っています。また、コープは、次に示す協同の価値と原則により成り立つと同時に、活動を通じてそれら価値と原則を更に高める働きを担っています。」

「コープ(協同組合)は、明確な価値と原則に基づく他の形態とは様相を異にする事業です。以下では、1995年に採択された『協同組合のあり方に関する国際協同組合連合会の宣言』を紹介しましょう。
◆定義
 コープ(協同組合)は、共通の経済的、社会的、文化的なニーズや願望を実現するために集まった個々人による自律組織です。この自治組織は、参加する人々が共同で所有し民主的に管理運営する事業体であるということに特徴があります。

◆価値
 コープ(協同組合)は、自助、自己責任、民主主義、平等、公平と団結という考え方に基づいています。創立者の伝統を継承し、協同組合員は、他者(向き合う相手)に対し、正直さ、開放性、社会的責任そして支援するといった倫理的価値を信じます。

◆原則
 コープ(協同組合)の原則は、各コープ(協同組合)がそれぞれのコープが考える価値を実践する際のガイドラインになります。
 第1原則:自発的で、オープンなメンバーシップ
 第2原則:民主主義に基づく組合員によるコントロール
 第3原則:組合員の自己資金の投入(経済的な側面での参加)
 第4原則:(協同組合の)自律と独立
 第5原則:教育、訓練、情報提供
 第6原則:協同組合間の協力
 第7原則:コミュニティ(地域社会)への貢献

► 筆者注2
 では、マレーニでどの様な考え方に基づき、コープ(協同組合)が生まれてきたかを確認してみましょう。情報源は上記注1のURLと同じで、出典は「Case Study No 11 Co-operation Maleny; The co-operative movement in Maleny, Queensland」(執筆者:ジル・ジョーダン。時期:2003年9月)で、以下はその要約です。

◆ジル・ジョーダンのコープに関わってきた経歴
 マレーニ在住33年(2003年時点)で、1978年にマレーニで新概念(New Wave)のコープ(協同組合)の第1号を始めたいと発起し、翌年それを実行に移しました。それ以来、コープ(協同組合)の会員、マネジャー、ワーカー、経理担当者、事務担当者、ディレクターとして関わってきています。

◆ジル・ジョーダンによる新概念(New Wave)とは?
 ジルは、新しい経済観(The New Economic Thinking)を新しい考え方として示しています。新旧の2つの考え方を比較しながらみてみると、次のようになります。
【古い経済観】
 経費を削減することが事業を推進する上の全てであり、そして確実に利益を追求しなければならない。
【新しい経済観】
 環境及び社会費用(そして利益)は、純粋に経済的なそれと同様に、等しく重要なことです。ゆえに、「三位一体のボトムライン」を大切にする必要があります。三位一体のボトムラインとは、事業実践に当って「環境」「経済」「社会」の3つの側面を一緒に考慮するという考え方です。

◆マレーニでの協同組合活動等の動き
 1979年の新概念のコープが創設されて以降、2003年までの間に、新概念に基づくコープ(協同組合)や考え方を同じくする協同組織が「28団体」設立されてきました。1979年以前の設立はというと、幼稚園建設のための協同組合で戦前の1939年まで遡り、さらにそれ以前は1800年代末と1900年代初頭の酪農及び乳製品製造工場になります。あわせて僅か3件です。マレーニでの活動が、1979年以降いかに大きく変化してきたかが窺われます。
 1970年代後半 1件
 1980年代前半 1件
 1980年代後半 4件
 1990年代前半 12件
 1990年代後半 5件
 2000年代前半 5件
 これらの団体の中で有給スタッフとしての雇用を生んでいる団体は17件あり、雇用創出数は129人になります(フルタイムが22人、パートタイムが107人)。また、流通系の団体が8件、サービス系の団体が13件です。

3.ジルの元気の源は?
► そうね、人々がコミュニティ、即ち地域社会の協同活動に、積極的に参加することから生まれてくるの。そのような活動に生き生きと参加している他の人から、元気をもらえる。何と言ったらよいか・・・。地域のために同じ方向を向いて、協同して活動しながら、「気持ちをシェア(共有)」するところから、「自分も!」というパワーが内から生まれてくるといったほうがよいかしら。
► もっと具体的に言うわね。私が関わっている協同組織が成功するとするわね。成功への過程で、関わった人たちのスキル(技術・技能)が向上し、同時に自信に裏打ちされた前向きな意識としてのパワーも増加すると思っているわ。このような人たちが、今度は、他の人たちと共に新しい協同活動を始めるとするわね。これらの人達が、今度は以前の経験を活かしながら、協同する過程で新しいニーズの活動を実践できるようにまた別の人たちと努力する。やはり、この過程を通じ関わった全ての人たちのスキル(技術・技能)が向上し、自信に裏打ちされた前向きな意識がパワーに結びついていくと考えているの。だから、私は、この一連の流れを生み出すきっかけを作ったメンバーの一人であっても、それで終わるのではなく、私も一緒に他の活動に関わる中で自分を磨き、磨かれている。地域全体として協同活動が活性化し、協同活動の活発化が地域社会を元気にする。これは地域社会に生活する個々人が元気になるということと同じじゃないかしら。
► でも、昔(1970年代)は、今とまったく違っていたのよ。メープル・ストリート・コープは、今では、変わるきっかけを生み出した貴重な協同活動となったと言えるわ。メープル・ストリート・コープは、新しい考え方に基づいて生まれたコープだったの。環境、社会、経済の3つの要素を等しく尊重しながら、商品の調達から販売を行う、具体的にはマレーニでは当時手に入らなかった有機食材の流通を担うコープと考えてもらえばよいわ。それ以前は、利益の出ない食材の生産・販売はマレーニでも経済効率に合わないと信じられていたの。でも、そのような考えに(今では古い考えとはっきり言えると思うわ)よる活動の結果、マレーニの人々は経済的に貧困世帯が多かったのね。メープル・ストリート・コープが基本理念においている新しい考え方の結果、地域内で流通が生まれ、富が生まれ増加することを、地元の人たちも理解するようになって下さったわ。
► その後、多くの協同組合や協同組織が生まれ、協同活動が活発化して、マレーニで「自信を持って『なせばなる』と感じる」ような人々が増えてきたのね。マレーニは、このような人々が住む「非常に健康的なコミュニティ」になったわ。
► 元気の源でもあるかもしれないけど、私がマレーニで好きなところは、多様な人々が住んでいることね。多様って言う意味はね、異なる能力や技術・技能を身につけた人が多いということ。協同活動を通して多様な人々が生まれてきたということと、マレーニに魅力を感じ多様な人々が新しく移住してきたからであると思うわ。

4.マレーニが他の同様な環境にある地域と比較してユニークな点は?
► 何処の地域にでもそれぞれユニークなところがあると思うから、マレーニ自体を特別視するようなことは避けなければならないわね。でも、あえて言えば、多くの他の地域は、まだそのユニークなところが顕在化していないようね。
► マレーニがユニークなのは、最初からではないわ。今まで話してきたことからも分かるわね。何十年にもわたってマレーニの人々が、コミュニティの発展に力を注いできたから、今の状態まできたと思うべきね。今まで話したことを別の角度から言うことになるかもしれないけど、一つの問題があり、これが人々が克服したいというニーズだとするわね。人々は協同し、そのニーズが満たされるように自らが努力する。一旦それが、満たされるとそれで終わりではなく、次に新しい問題が見えてきて、人々は新しくニーズを満たすための活動を始める。この繰り返しよ。マレーニに住む人々は、意識的に、次々と新しいプロジェクトを生み出し、実現に向け努力することを続けてきたし、今でも続けているの。小さな問題の発見、克服、新しい問題の発生、克服の繰り返しね。
► 他国を例に取らなくても、オーストラリアの他の地域も多くは、何か問題があると直ぐに行政に頼るという場合が良く見られるわ。マレーニがユニークだとするなら、「自分達の問題の解決に行政に最初から頼らない」という点であると、はっきり言えるわ。今までの30数年の協同活動の経験から言えば、自分たちで最初に問題を克服する活動を始めたほうが、行政も支援しやすいようね。自主的な活動で、継続性がみえるからだと思うけど・・・。私たちの活動は、行政からの支援無しで今まで来たと100%いうことは決してできないの。事実、活動が始まってからその活動を促進するための支援を行政から受けてきたからよ。でも、重要な点は、あくまでも、自分達の問題は自分たちで解消し、継続的にそれを続けることが基本にあり、マレーニのコミュニティは、地域の人々の協同活動を通じ、合意を形成し運営されていることよ。決して、行政にコントロールされているわけではないわ。
► 私一人では決してこのようなコミュニティは築けなかったわ。一人が他の人々を刺激するきっかけを作り、一緒に協同してきたからなの。成功体験の繰り返しを数十年もかかって積み重ねてきた結果ね。他の地域も、住む人々が、自ら考え行動するという姿勢で、はっきりしたニーズを克服するという努力をいとわなければ、それぞれの地域のユニークさを実現できると思うわ。私たちが辿ってきたように。

5.マレーニが抱える問題は?
► 最大の問題は、マレーニの魅力に惹かれて移住して来る人々が増え、その移住してきた新住民の人々が孤立し、知らず知らずのうちにコミュニティが持っていた魅力が失われる危険性ね。幸いなことに、まだ、この問題は顕在化していないわ。
► むしろ、私たのように昔からマレーニに住んでいる者達が、この問題が発生するのを未然に防ぐ努力をしているといった方が適切かしら。まず、地域の新聞を効果的に活用することをしているわ。メープル・ストリート・コープのニューズレター(四半期ごと)や他の媒体も同じように機能しているわ。これらの媒体を通じ伝えることは、「マレーニは、どんなまち(あるいはコミュニティ)か!」ということ。人々が、まず媒体を通じマレーニの在り様を意識的に理解し、徐々にコミュニティ・グループに参加する中で直接の対話を通じ学んでいくのよ。極端な言い方をすれば、旧住民は、コミュニティの魅力を維持発展させるためにも、新住民を教育しなければならないということかしら。例えば、地元スーパーのIGAは、キーホルダーの売上金の1%をコミュニティ・グループの活動を支援している等普通ではなかなか分からないことも含めてね。

6.最後に一言お願いします!
► 私たちが過去30数年にわたって実践してきたことの全ては、「協同する文化を築くこと(Building "Cooperative Culture")」かしら。今でも、私たちが行うこと全てが、これに通じているわ。

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August 17, 2006

66歳のお爺ちゃん「トニー」のマレーニ評!

 私がマレーニで拠点にしているのは、Hinterland Business Centreというクイーンズランド州政府出資による地域ビジネス支援施設である。ここにトニーという好々爺が訪ねてきた。事務所の人に聞いてみると、「コミュニティ活動を語るならこの人の話を聞くべきだ!」という。30分ほどお時間をいただき、話を聞いてみた。質問の主たるテーマは「マレーニが他に秀でているところを探る」である。以下は、お聞きしたことをそのまま日本語に訳したものです。

1.マレー二におけるトニーの現在の仕事
► 60歳で退職を迎えたのを期に、妻と共に2000年11月にマレーニに移住(退職前は、鉱山開発会社のManaging Director)
► 現在は、環境関連会社(行政、企業、地元等との調整コンサルティング)をはじめ、コミュニティ支援活動のグループに属し、その他法務関連調整役としても活躍している。
► 報酬は無しのボランティア活動。
► 主たる収入は、年金。

2.多様な問題に対し、無報酬で関わる理由は?
► 基本は、自分の経験を社会に還元したいという意識がある。
► 職業生活をはじめ今までの人生で獲得してきた技術・技能や各種の能力を、コミュニティの利益のために活かせれればこの上ない喜び。
► 他方で、自分自身のアイデアを絶えずフレッシュ(新鮮な状態)に保ちたいという意識も強い。コミュニティ活動等に関わると自分より若い人々に会うことができ、彼らは自分とは異なるアイデア(考え方)を持っているから、絶えず刺激があるんだ。
► 現実的な話をすれば、私は、この地域の持続発展可能な環境が好きだ。倫理観なく、過剰な開発でこの地域の持続発展可能性が壊されるのはみたくない。だから、環境維持やコミュニティ活動の充実に向けて仕事をしているんだ。

3.マレー二を退職後の居住地として選んだ理由は?
► 退職後、妻と一緒にサンシャイン・コーストのヒンターランド地域(内陸の山間地)をドライブしていて気に入ったからだ。6ヵ月後には、土地と建物を取得し、すみ始めた。
► 最初に旅行で訪れた時に感じたのは、自分の故郷であるニュージーランドの雰囲気に極めて似ていたからだ。マレーニとのフィーリングが合ったというのが適切な言葉かもしれない。すごくリラックスできて、心地よいと感じた。コミュニティの雰囲気をとても楽しんでいる。安全で平和だし、静かだし、それでいて何となく躍動感がある。
► 地理的な条件の面から言っても、とても便利だ(ハンディだ)!ブリスベンから車で1時間半、サンシャイン・コーストの海岸から40分の距離である。スポーツ観戦を楽しみたければブリスベンに行けばよいし、海水浴や釣りがしたければ海沿いにいけばよい。
► (余談だが、引っ越してきてからの6年間で、住宅や土地の価格が高騰してきた。でもまだまだ許容範囲かな?)

4.マレーニが他の同じような地域と違う点は何か?
► 140ものコミュニティ・グループがあるところかな。コミュニティ・グループは、ブリッジやチェスのグループから各種スポーツのグループまで多様に存在している。
► 何て言ったらよいか「コミュニティ・フィーリング」が良いんだよ。小さなコミュニティ(注:人口規模が小さい)だからということもあるけど、人と人の顔を合わせながらの交流がいたるところであるね。ブリスベン等の大都市では、到底、得られないものだよ。
► マレーニに移り住んできた人々の出来ることや経験を見ると、科学者、技術者、会社経営者、大金持ち、大学教授など、ほとんどは「元職」だが極めて高度な知識や経験を持った人が幅広くいることが分かる。このような人々がいるから、大変強く自己を持ち、強い主張をする人々が多い。実に面白いことに、でも、これによってコミュニティ・フィーリングが崩れることはなく、むしろコミュニティ自体に深みをもたらしているのではないかと感じる。つまり、意見の違いが関係性を断ち切るような結果に陥ることはなく、この意見の違いが、かえってクロス・セクショナル・アーギュメント(横断的な議論)を生み、何らかの決定を下す際のプラットフォーム(基盤)になっているんだ。
► (ウェブ:WEB【蜘蛛の巣】みたいですね!と問いかけると・・・)君、なかなか良い表現を使うね。コミュニティ全体で見ると、至る所に結び目があって、あるコミュニティ・グループに参加したときに会った人と他のグループでも会う。そして知らない間に、その人を通じ自分の知らない他の人とも知り合いになれる。こんな交友関係を基本に、意見も通わせやすくなるんだろうな!強い蜘蛛の巣がコミュニティに存在しているというのがマレーニといっても良いかもしれないね。
► さらに、もう一点付け加えることがある。コミュニティ・フィーリングが良いという意味の中には、容易くコミュニティ溶け込みやすいというのもあるんだ。6年前に移住してきたんだが、すんなり溶け込めたよ。これは、蜘蛛の巣の関係が築かれているからかな?

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August 16, 2006

再びマレーニに来る!

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 久々の投稿になります。現在、海外インターンシップで2名の学生と共に、8月1日からの4週間、オーストラリア連邦クイーンズランド州マレーニに来ています。この地域を訪れるのは3年連続6回目です。人との出会いを通じ、旅行者としてではなく、滞在者として色々な面が見えてきました。レポートでは、教えない教育という視点からではなく、率直に、自分が知りえた情報を通じ、マレーニという地域の在り様を紹介します。今回から、複数回に分けて、特徴的なことを記していくつもりです。
 今回来ている学生がブログを立ち上げ、日々の気づきをレポートしています。一度、訪れてみてください。私のブログとは違い、写真が多く、感覚的にマレー二を味わっていただけると思います。
 URLは、http://plaza.rakuten.co.jp/withmako です。

 なお、私は、マレーニでの海外インターンシップを立ち上げるに当たり次のようなことを考えていました。ここに紹介します。ご笑読ください。

■異文化理解教育に向けたスタンス
 グローバル社会は、異文化理解に立った意見と行動を人々に要請する。しかしながら、異文化理解とは何かの問いに対する解は多様に存在し、未だ定まった見解が出されてはいない。本学部では、異文化理解は、異文化に接する人々がその場で考え、行動に移す中から、接する文化の人々との交流を通じ達成されるものであるとの見解に立つ。よって、グローバル社会において人々に求められるのは、いかに感じ、いかに考え、いかに伝え、いかに行動するかである。プログラムは、これらの要素が組み込まれている必要がある。

■グローバル社会の未来予測
 「いかに」の部分を効果のあるものにするためにも、グローバル社会のイメージを明確にする必要があろう。やはりグローバル社会のイメージも議論百出であり、経営学部としてのグローバル社会イメージが求められる。イメージは、学生にとって、異文化と接する際の行動の指針になるものであろう。
 そこで、私たちは、これからのグローバル社会では次のようなことが大切になると未来予測(21世紀中葉)する。
 ①生活することも、働くことも、等しく尊重する人であふれている。(生活と労働の一体化)
 ②困難に直面しても、好奇心と情熱を持ち続けている人であふれている。(好奇心と情熱の持続)
 ③ソーシャルキャピタルが、人の生活と働く上で、欠かせないものとなっている。(ソーシャルキャピタル)
 ④人は、あらゆる循環に価値を見出している。(循環価値)
 ⑤響働(きょうどう)する喜びと意味を皆が分かっている。(響働の喜び)
 ⑥グローカル(世界的に考え、地域で行動する)社会が基本的価値観となっている。(グローカル社会)

■コンセプト「素の自分で自然・人・文化と対話する!」の解説
 人は通説に大きく左右される。その通説が間違っているか否かの判断をしないまま、受け入れる傾向が強い。これは国内外問わず異文化と出会ったときに、先入観となり衝突をひきおこす。衝突を経験したら、解消するために通説を問い直す必要がある。そのときに求められるのが、素の自分に立ち返ることであり、衝突した相手と対話することである。衝突の相手は、時には自然であり、人であり、文化である。よって、「素の自分で自然・人・文化と対話する!」という姿勢が重要になる。
 これをビジネスの世界に置き換えても同じことが言える。衝突の相手は環境(エコロジー)であり、外国人であり、外資系企業の風土等である。時には、自国のそして自社の慣行が衝突の相手となる可能性もある。当然、全部を否定していては進展がない。そこで求められるのが、何かを新しく正しいと判断できる自分であり、それを広める対話(交渉力)である。
 「素の自分で自然・人・文化と対話する!」ことほど、言葉では単純であるが、実現するには大いなる努力を必要とするものはない。しかし、これは新たな未来を切り開くために「絶対に必要不可欠」な能力である。

■カウンターパートの候補
(1)カウンターパート マレーニ、オーストラリア

(2)選定理由
⇒ 経済停滞地域が、個々の起業家の努力と地域サポート体制の構築で、経済的、社会的、個人的な面で、地域の再構築が行われ、結果的に経済的な豊かさに結びついている。しかも、地域自らが自分たちの経験を振り返り、何が鍵となったかを自己分析しているところに特長がある。(詳細は、(3)を参照)
⇒ これは、変化に直面した際に、地域と個人の考え方と行動がいかに重要かを教えてくれる。学生にとり、それらの基本的な考え方を学び、体験することで、既成概念を取り除き、困難に直面した際の行動力面で、彼らに勇気と希望を与えるものとなろう。
⇒ とりわけ、日本経済の停滞に伴う就職難にあって、多くの学生は将来に対する不安が大きくなっている。人は個では存在すらできない。自ずと多くのかかわりの中で生きることになる。働くとはどういうことか、自分で自分の雇用を作り出すことの意味を体感できるプログラムを構築するためには、日本ではカウンターパートがなかなか存在しない。

(3)経済・社会・人心の停滞から復興・再構築までの経緯(ジル講演の報告書より要約、解説)
■変化の前史
①マレーニ地域で産出及び栽培されてきた農畜産物が価格面で海外製品の競争に負け、地元業者が閉鎖もしくは縮小の憂き目に会ってきた。
②この間、農産物等の大量生産、促成栽培や業者からの規格に合わせるためにも化学肥料を大量に用いた栽培方法がとられてきた。その結果、土壌汚染が進むなど、環境面での破壊も進展していた。
③結果的に、社会(コミュニティ)、個人レベルで経済面と心理面での悪化が進行し、個人の生活レベルでは生活保護を受ける水準に至っていた。
④1970年にジル・ジョーダンがマレーニで定住を始める。その後10年間は、新住民と旧住民の間に直接的なコラボレーションは窺われない。変化を望まず保守的な旧住民と、土壌汚染等の環境破壊を招いた土地活用を暗に非難する新住民との間に軋轢があったからであるとジル自身分析している。→鵜飼:この意識のすれ違いや活動に結びつかない状態は決してマレーニに限定されることではなく、日本においても新規事業を立ち上げる際の抵抗や、衰退商店街(中心市街地)での商店街振興組合と新規参入者・生活者との軋轢と同じ種類のものである。学生のみならず我々も絶えず直面する(している)問題でもある。

■変化の兆し
⑤1980年代初頭に、ジル等が中心となり商店をはじめる。その動機は、必要な自然食品がマレーニで購入できないことにあった。そこで、共同仕入れや自家栽培の自然食品を販売できる商店を、まずは自然食品派の自分たち向けに立ち上げた。この商店は、青果商以外に、就職情報、賃貸住宅情報等の情報交換場所であり、あわせてリサイクルの意味を問いかける場所でもあった(プラスチックバックの再利用、瓶の再利用等)→鵜飼:このジル等のとった行動に類似した動きは日本においても散見される。しかしながら、大きな流れとなってはいない。例としては、熊本県水俣市で約15年前に始まった、お母さん食堂。山間部で兼業農家をしている人々が、ある日、青果市場を見て地元の農産物が扱われていないことに驚く。自分たちは季節毎に種類も豊富な旬の野菜を栽培し、食べている。家族で食べきれないものは近所や親類に分け与えている。青果市場の農産物は全国ブランドの有名産地の野菜であるが遠距離を運ばれてきており、取れたてではない。また、全国流通の弊害として年を通じて同じ種類の野菜しか扱われない。同じ水俣市の都市部の住民は、実に乏しい食生活をしていると感じるようになった。そこで、地元の古くからの料理方法(各家庭に伝わるものも含め)で、自分たちの栽培した旬の野菜を料理し販売する食堂事業を始め、継続的な事業へと発展している。
⑥地元農家の女性がこのお店を訪れ、興味を持つ。そこで、実質的な新住民と旧住民のコミュニケーションが始まった。単にリサイクル品の提供だけではなく、旧住民の農産物を商店に置くことを認めたことがきっかけとなった。旧住民は何が良く売れ、何が売れないかを身をもって知ることとなったからである。つまり、新住民が提供する農産物は有機栽培、旧住民が提供する農産物は化学肥料による栽培であり、多くは有機栽培の農産物が売れたからである。旧住民はその理由を知るところとなり、彼らの姿勢自体が変化することとなった。
⑦ジル自身も指摘しているように、新住民は理想に燃えた頭でっかちであった。言葉でいくら理想を唱えても、保守的な旧住民は理解しない。実践の中で理想を実現して初めて共感を呼び、変化が拡散していく。

■変化の拡散と定着
⑧対話が生まれると同時に、その信頼関係をより強固なものとし、信頼に基づく必要性を伴った事業展開が、地域の変化を生み、結果的に経済的な豊かさと、社会的豊かさ、そして個人レベルの自信を復活させるということをコミュニティ自体が理解し始める。
⑨この域まで到達するには、一朝一夕ではない。試行錯誤を繰り返しながら、失敗を振り返り成功体験を積み重ねていく時間を要するからである。マレーニでは、およそ25年間で多くの学びを得てきた。本格的な変化の拡散を導いたのが、各種の新たな協同組合(cooperatives)の設立である。協同組合は、例えば、Credit Union、LETSystem、LEED等、地域の必要性に応じて設立されたものである。特に例に挙げた組合は、多くのマイクロビジネスあるいはコミュニティビジネスの登場を支援することとなり、重要な役割を果たしている。
⑩多くの協同組合の設立は、コミュニティ(地域社会)として、危機に直面した際に迅速な対応をもたらすのは、人々の信頼であり、パートナーシップであるということを地域にかかわる人々に浸透させてきた。

■経験の振り返り(ジルによるまとめ)
⑪過去25年間の経験を振り返り、地域自らが次のような結論を導き出している。
・新規事業は地域のニーズに根ざしていること。その最重要になるのが、共通のビジョンを描くこと、そして開始時点で明確な目標を設定すること、さらに、新規事業を実際に機能させるためにコミュニティ内に提供者、使用者を含め明確な動機が感じられること等である。
・それぞれの新規事業には、チャンピョンもしくはマザーの存在がなくてはならない。チャンピョンもしくはマザーは、最初の段階から事業が軌道に乗るまでを支える人物であり、活動に当たってはかかわる意欲のある人々を幅広く中に取り込むことが重要である。→鵜飼:このマザーは、市民起業家と称されている人物やグループと同義である。
・共同の中から相互に学びあうスキル。
・絶えず新たな意見や行動力を持った人々が参加しやすいような方法を探ること。
・異なる組織が相互に支援しあうこと。

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